歳の差20歳!転勤家族が大阪の地を離れ子育て環境と住みやすい場所を求めて。 [大阪転勤子育て環境住みやすい場所]
大阪に二度目の転勤になって一年・・・ひさしぶりに妻と海辺でランチだ。
六甲アイランドの夕焼けを望みながらの風情は、
どこか横浜の赤レンガ倉庫を思い出す。
「パパ・・・ここって赤レンガによく似てるね。」
どうやら妻もおなじ事を感じていたようだ。
「ここってさ・・やっぱり横浜と似てるよね。」
(横浜赤レンガ倉庫)
(六甲アイランドマリンパーク)
私の言葉に妻はうんうんと二度うなづいた。
子育て環境を求め、何処か混沌とした大阪の街を離れ、
ようやく子育て環境に最適な住みやすい空間を見つけた。
まだ住んでいない・・・けれど夫婦の間には同じ未来・・・
ここでの暮らしが見えているような気がする。
「パパはもう決めてるんでしょ?」
妻の席から見えるオレンジ色の波が、
故郷から遠く彼の地である六甲アイランドに、
安住を決断させようとしているように感じた。
「そうだね。君はどう?」
おとなしく海を見ている息子の頭を撫でながら、
妻は大阪での暮らしを思い出しているのだろう。
大阪に転勤したあの頃は、全てが便利だったと思う。
そして街と大阪人に埋もれてしまいそうだった。
便利と平穏は全く違うもの・・・そう感じざるを得ない世界が、
あの頃の大阪での夫婦の日常だった。
・
・
妻は返事をしない・・・
それが、転勤で居を移す事への恐怖なのだと痛いほど感じた。
関東から大阪圏へ居を移すという事は、大げさかもしれないが
海外へ転勤する事と変わらない程、その文化や気質が違う。
ましてや妻は、大阪で精神的に病んだ過去があるだけに
なおさらだ。
そんな「あの頃の妻」を見ているだけに、
単身大阪へ転勤した私が、
家族3人で住める、心の潤いを失わない場所を
毎週末さがして、ようやくたどりついたこの地・・・
だとしても、妻にとっては一大事なのだ。
妻がようやく重い口を開いた。
「パパ・・・いっぱい頑張ったんだね・・・
パパの選んだこの場所が、私にとってきっと
関西で一番癒される場所なんだよ。」
「ありがと・・・パパ・・・」
その言葉で、私の「家族と離れて転勤生活を過ごした一年間」の
思いが込み上げてきた。
(がんばったよな・・・おれ・・・)
・
・
すこしきつかった南風は、藍色の空がオレンジを剥離しかけた頃に
穏やかな表情を見せていた。
「パパ・・・だいぶ暗くなったね、でもこの海の色も横浜そっくりだね。」
転勤への覚悟を決めた妻は穏やかだ。
もうすでに「明日」をみているその目は、
無邪気で明るいママであり、
やっぱり息子と私の宝物なのだと感じた。
「明日は緑道を散策しようね、でも疲れたんじゃない?」
私の言葉に妻はこう切り返した。
「転勤族の妻が、この程度で疲れるとでも?」
(ふふ・・さすが一児の母、女性は強しか・・・)
「さあ、今から夜景探索よ!!」
妻は席を立つふりをして、息子をうながした。
「今からすごく奇麗な夜景見にいこっか?」
「うん、行く!!」
(我が息子はこんなに聞き分けのいい子だったか?)
私は唖然だ。
会計をすませ、外に出る頃には、護岸に咲くオレンジの花の様な街灯が、海辺を照らしていた。
「さあ、リバーモールの色とりどりの光の橋を見に行こうね。」
家族3人、仲良く手をつなぎ東へと歩き出した。
大阪転勤から単身赴任一年目・・・
ようやく子育て環境と住み良い場所を探す道のりは、
終わりを告げようとしていると感じた。
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六甲アイランドの夕焼けを望みながらの風情は、
どこか横浜の赤レンガ倉庫を思い出す。
「パパ・・・ここって赤レンガによく似てるね。」
どうやら妻もおなじ事を感じていたようだ。
「ここってさ・・やっぱり横浜と似てるよね。」
(横浜赤レンガ倉庫)
(六甲アイランドマリンパーク)
私の言葉に妻はうんうんと二度うなづいた。
子育て環境を求め、何処か混沌とした大阪の街を離れ、
ようやく子育て環境に最適な住みやすい空間を見つけた。
まだ住んでいない・・・けれど夫婦の間には同じ未来・・・
ここでの暮らしが見えているような気がする。
「パパはもう決めてるんでしょ?」
妻の席から見えるオレンジ色の波が、
故郷から遠く彼の地である六甲アイランドに、
安住を決断させようとしているように感じた。
「そうだね。君はどう?」
おとなしく海を見ている息子の頭を撫でながら、
妻は大阪での暮らしを思い出しているのだろう。
大阪に転勤したあの頃は、全てが便利だったと思う。
そして街と大阪人に埋もれてしまいそうだった。
便利と平穏は全く違うもの・・・そう感じざるを得ない世界が、
あの頃の大阪での夫婦の日常だった。
・
・
妻は返事をしない・・・
それが、転勤で居を移す事への恐怖なのだと痛いほど感じた。
関東から大阪圏へ居を移すという事は、大げさかもしれないが
海外へ転勤する事と変わらない程、その文化や気質が違う。
ましてや妻は、大阪で精神的に病んだ過去があるだけに
なおさらだ。
そんな「あの頃の妻」を見ているだけに、
単身大阪へ転勤した私が、
家族3人で住める、心の潤いを失わない場所を
毎週末さがして、ようやくたどりついたこの地・・・
だとしても、妻にとっては一大事なのだ。
妻がようやく重い口を開いた。
「パパ・・・いっぱい頑張ったんだね・・・
パパの選んだこの場所が、私にとってきっと
関西で一番癒される場所なんだよ。」
「ありがと・・・パパ・・・」
その言葉で、私の「家族と離れて転勤生活を過ごした一年間」の
思いが込み上げてきた。
(がんばったよな・・・おれ・・・)
・
・
すこしきつかった南風は、藍色の空がオレンジを剥離しかけた頃に
穏やかな表情を見せていた。
「パパ・・・だいぶ暗くなったね、でもこの海の色も横浜そっくりだね。」
転勤への覚悟を決めた妻は穏やかだ。
もうすでに「明日」をみているその目は、
無邪気で明るいママであり、
やっぱり息子と私の宝物なのだと感じた。
「明日は緑道を散策しようね、でも疲れたんじゃない?」
私の言葉に妻はこう切り返した。
「転勤族の妻が、この程度で疲れるとでも?」
(ふふ・・さすが一児の母、女性は強しか・・・)
「さあ、今から夜景探索よ!!」
妻は席を立つふりをして、息子をうながした。
「今からすごく奇麗な夜景見にいこっか?」
「うん、行く!!」
(我が息子はこんなに聞き分けのいい子だったか?)
私は唖然だ。
会計をすませ、外に出る頃には、護岸に咲くオレンジの花の様な街灯が、海辺を照らしていた。
「さあ、リバーモールの色とりどりの光の橋を見に行こうね。」
家族3人、仲良く手をつなぎ東へと歩き出した。
大阪転勤から単身赴任一年目・・・
ようやく子育て環境と住み良い場所を探す道のりは、
終わりを告げようとしていると感じた。
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